『外資系コンサルの知的生産術 プロだけが知る「99の心得」』山口周・著(光文社新書)
外資系コンサルの知的生産術 プロだけが知る「99の心得」 (光文社新書)
- 作者: 山口周
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/01/15
- メディア: 新書
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Kindle版 外資系コンサルの知的生産術 プロだけが知る「99の心得」 (光文社新書)
【読書メモ】
1. 知的生産の「戦略」
(1)知的生産のターゲットとなる顧客
直接の発注者が真の顧客とは限らない
ターゲットが広がれば広がるほど、メッセージは切れ味を失う
(2)顧客が求めている知的生産物の品質
「顧客がすでに持っている知識との差別化」が一番大きな問題
どうやって「新しい付加価値」を生み出せるかを考える。新しさを出すには「広さで出す」と「深さで出す」の二つの方向
顧客を明確化した上で、その人が何に付加価値を感じてくれるかをはっきりさせることが非常に重要
→ 収集する情報の種類が変わるから、最初に整理するのが大事
→ 知的成果に求められる品質ターゲットを設定する
(3)知的生産にかけられる時間・金・人手
求められる情報の「量」と「質」を見極める必要がある。人手を使って手に入る情報で求められる水準のクオリティが達成できるか、という見通しが重要
(4)顧客の期待値をコントロールする
期待値のズレはすぐに調整する
→ 顧客のスピード、品質、量に関する期待値を制約条件の中で満たせないと感じたら、そのままプロジェクトをスタートさせず、まずは顧客と制約条件の調整について話し合うようにする
→ 相談するときは、納期・クオリティ・コストの三つについて、妥協できる要素が何かをはっきりさせる。具体的には、アウトプットクオリティは落とせるのか?期日を後送りにできないか?別プロジェクトの予算あるいは人手をこっちに回せないか?という三つの論点について。
→ 知的生産における失敗は、品質でなく、「顧客の期待値と実際の成果のギャップ」によって決まる
(5)情報収集に当たって「指示は『行動』で出すのではなく、『問い』で出す」
→ 情報収集の前に「問い」を明確化する
→ たとえば「◯◯に関して、この四つの問いについて答えが出せるような資料を集めておいて」と指示する
→ 「問い」で指示を出された方が、何をやればいいか「イメージが湧く」
→ 心理的な安心感が増すことにもつながる
→ 知的生産に従事する管理職の大事な役割は「ここまでやれば及第点」というラインを提示すること
→ プロフェッショナルというのは80%の力でクライアントを継続的に満足させられる人のこと。常に100%出そうとするのはアマチュア。
2. インプット
(1)情報ソースは幅広にとる
それぞれの問いに対して、情報ソースの「あたり」をつけておく。一種の忘備録。
→ 情報をとるのが難しい「問い」(=定性的な問い)については、バックアップのソースを用意
情報ソースの種類(4種類)
→ 縦軸に紙と声、横軸に社内と社外。社内資料、公開資料、社内の関係者インタビュー、社外の関係者インタビューの4つにわけられる。
→ 公開資料は、書籍、白書、統計資料、記事など
→ 社内資料は、中期経営計画、報告書、伝票、メモなど
→ 定量的/統計的な問いについては、シンクタンクや調査会社のレポートや記事等をソースにするのが一般的
→ 定性的な問いについては、多くの場合、複数の関係者の声をまとめることでしか答えが得られないケースが多い
→ 「他者」がからむところ(=インタビュー)は時間がかかるから、先に押さえる
(2)よい質問=よいインプット
事前に「これだけははっきりさせたい」という問いを明確化しておく
明確化したら、インタビューガイドを作成する
→ 質問はできるかぎり具体化する
→ よい質問を作るコツは「紙に書き出す」こと。人は普段の仕事や生活で、語尾をあいまいにせず、質問をとしていいきる、ということをやっていない。
インタビューでは「わかったふり」をしない
→ 理由1、用語や論理がわからないと、その後の「質問力」が低下する。「よい質問」というのは、「完璧にわかる」からこそできる。そもそも、「何がわからないのかすら、よくわからない」ときには質問のしようがない
→ 理由2、論理的に筋が通っていないように思えることにこそ、知的生産のコアになるネタが隠されていることが多い
→ 理由3、インタビュー結果をアウトプットとしてまとめられない可能性が高まるから
でも、インタビューガイドにはこだわらない
→ 良いインタビューであればあるほど、新しい仮説や事実が立ち現れて、当初想定した検討の枠組みから離れることになる
情報インプットの前に、アウトプットのイメージを持つ
→ その上で、「足りない情報項目」を探しにいくというモードでインタビューや資料レビューにあたると、驚くほど情報の取得効果が高まる
(3)強いのは一次情報
顧客をハッとさせられるような情報が見当たらないときは、一次情報が足りていない可能性がある
資料や書籍から、本当にインパクトのあるヒント得られることはまれと考えたほうがいい
知的生産の実務で、インパクトのある成果物を生み出すためには大きく二つのやり方がある
→ ①相手が知らないような一次情報を集めて情報の非対称性を生み出すというアプローチ
→ ②顧客がすでに知っている二次情報を高度に組み合わせて情報処理し、インサイト=洞察を生み出すというアプローチ
→ ①の方が、付加価値を出しやすい。②は、非常に高度なプロセッシングが必要
一次情報を得るため、有効なのは現場観察
→ 重要なポイントは「あるまとまった量の時間をかけて腰を据えて見る」という点。時間が短いと、目の前の事象が、何度も繰り返し起こっていることなのか、そのときたまたまなのか、を判断できないため
→ また、観察による対象者への影響を少なくすることができる
→ 見物にならないために、①「問い」を持って現場に望む、②「仮説」を持つ(=「問い」に対する現時点での答え)
→ でも、「仮説」に囚われすぎない。「仮説」と「思い込み」は紙一重。仮説と新説を混同して、最初に立てた粗い仮説の証明だけに没頭するような態度を取ってはいけない。
→ 集められる情報の質と量というのは、運動量で決まる。まずは、フットワーク軽く動いてスジのよい情報を沢山集める。
→ 青い鳥を探さない。知的生産は高度に文脈依存的。目の前の問題について、そのものズバリの答えはこの世に存在しない。
→ たとえば、「日本企業がIT投資に失敗する理由は何か」という問いに答えるには、事例研究(社会学でいう一種のフィールドワーク)が必要。したがって、情報収集段階で必要なのは、「具体的で詳細なIT投資の失敗事例」。そこから先の「原因の考察」は、情報収集ではなく、集めた情報のプロセッシングだから、自分の頭を使う必要がある。
→ インプット=情報収集という作業は、答えを紡ぐための材料になる情報を集めるという作業以上のものではない
→ 「とにかく、なんとかする」という意識を持つ。コンサルファームに入る人で成長が止まる人に共通するのは「知的な粘りがない」こと。できない理由をロジカルに説明する
→ 情報収集しても、なかなか打開策が見えてこないときは、「スジの悪い」対策に焦点を絞ってしまいがち。違うアプローチが必要かも。
→ インプット量がある一線を超えると学習効率は逓減する。三〜五冊程度の主要書籍・解説書に目を通しておけば、ほぼ十分な情報量が得られるはず。知的生産物がなかなか生み出せないと、焦燥感や切迫感に襲われ、手を動かさないと不安な心理状況になり、ひたすら無意味なインプットを続けてしまう
→ 基本書・解説書五冊で、プロセッシングが前に進まないときは、プロセッシングのアプローチに無理がある可能性があるため、「そもそも何をしようとしているのか?」「何が求められているのか?」といった、スタート地点に立ち戻る。
3. プロセッシング
プロセッシングとは、「集めた情報を分けたり、組み合わせたりして、示唆や洞察を引き出すこと」。
ここで重要になるのが「文脈に沿っている」ということ。示唆や意味合いの引き出しは、無限にできるが、重要なのは「その局面において重要な示唆や意味合いだけを引き出す」こと。
簡単に言えば、「じゃあ、どうすればいいの?」という答えにつながるような、示唆や洞察を引き出すこと。
知的成果として世に訴えられる情報は基本的に三種類しかない。「事実」「洞察」「行動」。
「事実」→ 二酸化炭素濃度上昇、永久凍土が解け始めてる
「洞察」→ 地球が温暖化傾向
「行動」→ 私たちがとるべき行動
(1)「常に行動を提案する」という意識を持つ。
特にビジネスでは「行動の提案」まで踏み込むことで初めて価値を生み出す。
→ プラトン以降、ほとんどの哲学者が向き合ってきた問いは二つ
1. 世界はどのように成り立っているのか
2. その中で、私たちはどのように生を全うするべきなのか?
→ 常にポジションを明確に取る(肯定、否定の立場を明確にする)。(その時点で頭のストックにもとづく推察によって)最初から取る。「決断力」というのは要するにポジションを取れるかどうかということ。
→ 知的生産物のクオリティは、異なるポジションを取る人と摩擦を起こすことで初めて高まる。ポジションを取らないと評論家になる。
→ ポジションを一度取った上で、新しい情報がそれを反証するのであれば即座にそのポジションを捨てる柔軟さも必要
(2)「考える」と「悩む」を混同しない
判断に必要と思われる情報はそれなりに集まったのに解が見えてこないというときは、問題はほぼ間違いなく「問いの立て方」か「情報の集め方」にあるはず。
思考力や思考量の問題であることはあまりないはず。
→ 筆者は、高度な知的生産に、必ずしも高度な思考力が必要だとは思っていない。
→ 哲学や論理学のトレーニングを積んだ人であればともかく、普通の人間には丸一日考えるなどというのはまったく不可能なはず。「一日考えた」とかいうのは、ほとんどの場合「悩んで」いただけ。
→ ものを考えるというのは、瞬間だと思っているのです。たとえば一時間考えるなんてできないですよ。 阿部謹也『歴史家の自画像』
→ 「考えている」と「悩んでいる」の自己判断方法
「情報から示唆を、示唆から行動を生み出す」というプロセスが壁に当たって前に進まなくなったと感じられたら、「悩んでいる」可能性が高い。
①手が動かなくなる、②言葉が生まれない
→ 正しく「問い」が設定されて、情報がちゃんと集められ、それを虚心坦懐にみれば、答えは誰の目にも明らかな形で自然に立ち現れてくるはず。この「立ち現れてくる」という感覚がとても大事。これは知的生産における奥義の一つ。
→ 「長く考える」のではなく「短く何度も考える」方が突破口を見つけやすい。数十秒から長くても五〜六分。時間と場所を変えて繰り返しおこなう。思考の総量は「考える時間」の量よりも「考える回数」の量によって決まる
(3)「分析」以外の脳のモードを使う
経営というのは本質的には分析とはまったく逆の営み
Analysis 分析 ↔ Synthesis 統合
→ この統合こそが、経営の真髄。経営というのは集められた分析結果の中から重要だと思われるものだけを残して残りは捨象することが常に必要になる。その上で「ひと言でこういうことだ」とまとめるということ。
→ プロセッシングでは、前工程では集めた情報を分析して細かいピースに分け、後工程では、細かいピースを組み合わせながらその多くは捨て、結論としてのまとめを作り上げていく統合をおこなう。
→ 「分析」から「統合」に切り替えると同時に、「論理」から「創造」へとモードを切り替える。この四つを状況じ応じて使いわける。
→ ビジネスで用いる分析は「比較=比べること」に他ならない。時系列分析は「昔」と「今」。構造比分析は「部分」と「全体」。
プロセッシング工程の前半 → 「分析」
プロセッシング工程の後半 → 「統合」と「創造」
プロセッシング全工程 → 「論理」
→ 論理性あっての創造性。「論理」を用いた課題の特定と、「創造」を用いた課題の解決。
→ イノベーションは部外者と新参者が起こす
→ 本当によい答えというのは往々にして緻密に思考を積み上げて生まれるものではなく、「ハッ」としたときに天啓のように与えられることが多い。この直感的に思い浮かんだ打ち手を、論理的に検証する。
→ 情報に接触することで呼び起こされる感情や身体的反応が、前頭葉の腹内側部に影響を与えることで、目の前の情報について「よい」あるいは「悪い」の判断を助け、意思決定の効率を高める(ソマティック・マーカー仮説)
→ 仮説にしたがえば、意思決定においてむしろ感情は積極的に取り入れられるべき。過剰に理性を重んじ、感情や直感を排斥する態度は意思決定のクオリティに重大な欠陥をもたらしかねない
→ 立場と論理をゴッチャにしない。人類の歴史上において組織や個人を壊滅的な状況に導いた意思決定の多くは、自分の社会的な立場を守るために故意にねじ曲げられた情報や論理によって生み出された。水俣病や薬害エイズなど。
(4)プロセッシングのコツ
→ 一次情報から洞察や示唆を引き出す際の作業上のコツは、紙に書き出してみること。アタマの中だけだと「組み合わせのパターン」がそれほど増えない。洞察や示唆というのは、それまでに考えたことのなかった情報の組み合わせによって生まれる。
→ 人間は情報を処理する際に、「音声=時間軸」と「視覚=空間軸」で脳の違う部分を使っているらしい。脳の稼働率を最大限に高めるために「音声処理」と「視覚処理」の両方を用いた方がいいのではないか。
→ 感情に訴える表現(=動画や音声)と理性に訴える表現(=新聞や雑誌、ウェブ上のテキスト)の最適な組み合わせが重要
→ とにかく最初はインプットされた情報を紙に書き出してみることが重要。思考を深めようと思ったら、まずとにかく紙に書き出してみる、自分のアタマの中の情報や思考を、アタマの外に出して相対化してみる、ということが重要。電通でもBCGでも同様で、エースと呼ばれる人は必ず、まず紙に自分の思考を落とす、ということをしていた。
→ とにかく人に話してみる。「話す」というのは知的生産において、もっとも重要な「心得」の一つ。話しての思考があらためて整理され、ポイントが明確化される。また、他人の頭をプロセッシングに活用できる。十七世紀のイギリスは世界をリードするさまざまなアイディアを生んだが、それらの多くが「カフェ」での対話から生まれている。
→ 声に出してみると、頭が違った働きをするのかもしれない。ギリシャの哲学者が、対話のうちに、思索を深めたのも偶然ではないように思う。沈黙思考は、しばしば、小さな袋小路の中に入り込んでしまって、出られないことになりかねない。
→ 知的生産のアプローチの取り方には「オプティマル」「ヒューリスティック」「ランダム」の三つがある。「ヒューリスティック」を意識する。簡単に言えば、「まあまあいい線をいく答えを、手っ取り早く得る」アプローチ。論理的に正しいことを追求して、壁に当たっているときに、ヒューリスティックにシフトすることで、いろいろな打開策が見えてくることがある。(どの程度の精度が解に求められてるか、確認が必要)
→ プロセッシングに煮詰まって前に進まないとき、また、他人の知的生産と差別化するため、「視点・視野・視座の取り方を変える」。
視野を広げる → 考察の対象となる時間・空間を広げてみること
例:日本人はイノベーションに向いていない。それはここ二十年の時間軸。千年で見れば、さまざまなイノベーションを起こしている。アップルのような会社が日本から出ない。空間軸を広げると、イギリス、フランス、ドイツからも出ていない。
視点を変える → モノゴトの多面的な側面に着目してみること
例:正の側面があるものには必ず負の側面が発生する。貧弱な意思決定というのは、この「正」と「負」の両面への目配りが欠けたままなされてる。たとえば、「競合企業」。単に「顧客を奪い合う競争相手」と捉える「負の視点」から離れ、市場開拓や変動需要の吸収、新規参入の阻止といったさまざまな利点をもたらす「正の視点」に移すことで、新たな示唆を得られる。多面的な「視点」を設定して、それらを柔軟に行き来できる包容力のある知的態度を身につけられるかどうか。
視座を上げる → 「誰の利益を背負っているか」という立場を変える
例:1人の個人の利益、チームの利益、部門の利益、会社の利益、国の利益、世界全体の利益、を背負う立場。ある視座においては適切と考えられた答えが、より高い視座から考えた場合には不適切だった、ということはよくある話。では、どこまで高めればいいか。コンサルファームでは二つ上の視座を持てとアドバイスされる。著者の意見は「もっと高い視座」。社長の視座さえ突き抜けた「革命家の視座」。この世界を、いまある世界からどのようにしてよくしていくか?その計画を実現するために、自分の会社をどう活用できるか?そういった視座に立って仕事をすれば、毎日の仕事の景色もまったく違ったものに見えてくるのではないか。
→ アンラーンを繰り返す。変化が継続的に起こっている世界において、一度学んだコンセプトやフレームワークに執着し続けるのは、怠惰を通り越して危険ですらあるといえる。常に、「昔とった杵柄」を廃棄し、常に虚心坦懐に世界を眺めながら、自分が学んできたことと常識を洗い流す。
→ 「問い」に立ち返る。「何のためにこんなことをしているのか?」「そもそも、何に対して答えを出そうとしているのか?」と自問してみることで、打開策が見えてくることがある。
→ 「問い」を進化させる。その「問い」に対する答えがある程度見えてきたときに初めて、本当に大事なのはさらにその奥にある別の「問い」だった、ということが見えてくる。粘り強く「最強の問い」を追いつめていくという心意気を失わない。
→ 「問い」をずらす。問題は常に「現状とあるべき姿のギャップ」として定義される。「問いをずらす」のは、この「あるべき姿」を横にずらしてギャップの傾きを変えること。
例:英国の名門陶器メーカーの事例。箱詰めの作業員が新聞を読んで、作業効率が低下してた。あるべき姿を「作業員が新聞を読まずに作業する」ではなく、そもそも「作業員が新聞に関心を持たない」と再定義する、ことで問題解決した。ナポレオンも与えられた戦況を所与のものとして考えるのではなく、戦況そのものを再定義した。
→ 「問い」を裏返す。「現状」と「あるべき姿」の位置関係をひっくり返してみる。
例:ケチャップメーカーのハインツ社の事例。目の前にある「問題」は、そもそも「問題」なのかと考えてみることで、思わぬ打開策が見えてくることがある。問題解決がうまくいかないとき、わたしたちはひたすら最初に立てた「問い」に近視眼的にフォーカスしがち。そのようなときにこそ、ふっと引いてみて「問い」そのもののありようを自由に再設定してみることが必要。
→ 「気合い系」の情緒言葉に逃げない。言葉使い次第で議論は論理的にも情緒的にもなる。用語を関係者間で厳密に定義する。プロセッシングのクオリティを保つための必須事項だと覚えておく。プロセッシングでは、ときに哲学や論理学並みの厳密さで論理を積み重ねていくことが必要になる。筆者の経験上、用語の定義が原因となってプロジェクトが迷走するときは、だいたいカタカナ言葉が元凶となっている。
→ 思考停止ワードに注意する。思考を深めることを止めてしまう流行のキーワードのこと。代表的なのは「グローバル化」や「イノベーション」。
→ 浅薄な帰納に流れない。演繹法では前提が正しければ必ず推論の結果が正しくなるのに対して、帰納法は必ずしも前提が正しくても推論の結果は正しいとは限らない。せいぜい「そうなる蓋然性が高い」という程度の結論しか出力できない。帰納すれば無理そうだけれども、演繹して必然性を導けない以上、ブレイクスルーがあるかも知れない、と感じるセンスは、そのままイノベーションの可能性につながってくる。情報をインプットし、それらをもとにある推論を行おうとする際、自分が演繹と帰納のどちらの方法を用いているかについて意識的になってみる。どうして浅くなってしまうのかというと、メカニズムに踏み込まないから。「これまでに太陽が西から昇ったことはない」だから「明日も東から昇るだろう」というのは、典型的な帰納による推論だが、「なぜ、そうなるのか?」という点がわからない。
→ 反証例をいつも考えることで「薄っぺらい帰納」をある程度防ぐことができる。要するに、自分でツッコむ、ということ。自分で考えられる限りの反証例を挙げる。
→ 「なぜ?」と「もし?」を多用することも「薄っぺらい帰納」の防止には有効。帰納によってある推論結果が得られたら、どこかの段階で「これって、そもそも、なぜ、こうなんだろう?」という質問を、自分にも周囲にもしてみる。「もし、◯◯だったらどうなのか」も。
→ プロセッシングというのは、「確かさ」のレベルに大きなバラツキのあるデータを組み合わせながら、ある示唆を出していく作業。このとき、自分の持っている数値感覚と照らしあわせながら、数値が非現実的なものでないかの自己チェックを繰り返すことが必要。プロセッシングの精度とスピードを高めたければ、主要な数値の規模感を押さえておくとよい。『日本の統計』『会社四季報業界地図』。
→ 想像力を働かせて「人」を思い浮かべる。学歴も思考力も申し分ないはずなのに、表面をツルツルとなでるような浅い思考ばかりで、なかなか深みが出せない人は、共通の特徴として「想像力がない」という点がある。究極的にいえば、想像力を働かせるというのは、対象を「自分ごと化」するということ。そうすることで、自分の皮膚感覚で判断できるようになる。
→ 定説に流されて思考停止しない。社会科学の場合、定説は社会構造やテクノロジーによって規定されるという側面があるため、かなり脆弱。経営学とは「ある時代において現実をよく説明できる定説」の寄せ集め。
→ 禁じてに着目する。経営学のセオリーや世の中の常識に反して、理屈に合わないものや基本ルールに反しているものに出会ったら、新しい気付きのチャンスがあると思って少し立ち止まる。セオリーが間違っていることに、自分だけ気づいているということは、「世間」と「自分」とのあいだに情報の非対称性が生まれるということ。情報の非対称性は経済価値を生む。
→ 作用と反作用を意識する。「ある極端なモノ・コト」があったとすると、その背後には「逆側に極端なモノ・コト」が隠されていることが多い。そう考えることで大きな気付きが得られることがある。たとえば、中国の儒教。儒教は美しい教え、「支配を正当化するための学問」↔裏を返せばマキャベリズムが異常に発達している。マキャベリズムが生まれたのは、当時のフィレンツェの権力者があまりに理想主義的で、政治と宗教/道徳を分離せずに扱っていたため、戦争や権力闘争にからっきし弱かったという事態の裏返し。「イノベーション」と騒いでいる企業ほど、イノベーションランキングの低位に沈んでいる。
→ 「わからない」という勇気を持つ。プロセッシングの際、自分が「わかっている」のか「わかっていない」のかを厳密に峻別することが求められる。この区別を厳密にできている人はほとんどいない。イノベーターと呼ばれる人であればあるほど、常に周囲に対して「わからない、わからない」とこぼして憚ることがない。
→ 「大家の論考」に盲従せず、逆に、自分の論考に「大家の論考」を従属させるという意識を持つ。
4. アウトプット
大切なのは普通の語で非凡なことを言うことである。 ショウペンハウエル
→ 「Less is more=少ないほどいい」と知る。なぜか?「効率がいいから」。少ない情報はプロセッシングの負荷を低くし、ダイレクトに行動につながっていくことになる。知的生産は最終的に「望ましい行動を起こさせること」を目的にしている。
→ What「やるべきこと」、Why「その理由(事実と示唆・洞察)」、How「具体的なやり方」の三点セットでまとめる。
→ 抽象行動用語を使わない。関係者間で「具体的に明日から何をやるのか」がイメージできなくなってしまう恐れがある。「ベクトルではなく、到達点を伝える」ように意識する。「向き」よりも、座標上の任意の点を明確化する。
→ 説得よりも納得を、納得よりも共感を追求する。人は、いくら合理的な理屈で説得されても、本当に共感しなければエネルギーを全開にできない。これは意識的なコミットメントレベルというよりも生理的な反応の問題であって、人間はそういうふうにできている。人のエネルギーを高レベルに引き出して方向付けるというのはリーダーの核となる役割。
→ 論理・倫理・情理の三つのバランスを取る。倫理→いくら理にかなっていても道徳的に正しいと思える営みでなければ人のエネルギーを引き出すことはできない。情理→本人が思い入れを持って熱っぽく語ることで初めて人は共感します。
→ 受け手の反応を予想する。①共感✕面白い、②共感✕つまらない、③違和感✕面白い、④違和感✕つまらない。アウトプットを出す前に「予測」することに意味がある。
→ ①What→Why→How。② What→Why→How(付加価値の出しやすいHowに多めの情報を盛り込む)。③Why→What→How(違和感最小化のために、Whyをできるだけていねいに。『不都合な真実』はこれ。当時は地球温暖化に懐疑的な人が多かった)④Why→What→How(WhyとHowに情報を盛り込む。別の答えを疑ってるから、腹を決めさせる必要がある)
→ アウトプットの表現フォーマットを決める。動画/写真/図表/文章。特にWhyの部分。「事実」と「示唆・洞察」で構成されるが、事実に関して、「定性情報」と「定量情報」とで表現フォーマットを切り替えると、効果的アウトプットが可能になる。「定量情報」はグラフが基本で、紙かスライド。「定性情報」は内容に応じて最適なもの。
→ 質問には答えずに質問で返す。質問をもらった場合、それが本当に「わからない言葉の意味を確認する」といった純粋な質問でない限り、ほぼ間違いなくそれは質問という名を借りた反論と考えて、その反論をくみとれるような質問を逆にこちらから返す。それによって、良質なインプットが得られることがある。
→ アウトプットが出ないときは、インプットを見直す。「量あるいは質の面で、正しいインプットができていない」。
5. 知的ストックを厚くする
どれだけ長期的に、質の高い知的生産を継続して行えるかは、自分という知的生産のシステムの中にどれだけ容量の大きい知的ストックを抱えられるかにかかっている。
→ ストックが厚くなると洞察力が上がる。洞察力とは「目に見えない現象の背後で何が起きているのか?」「この後、どのようなことが起こりえるのか?」という二つの問いに対しての答えを出す力。過去の類似事例において、どのようなことが背後で起きていたのか、あるいはその後で何が起きたのかを知っていれば、洞察力が高まることは容易に想像できる。著者の事例で、権力者の暴走を防ぐにはカウンターバランスが必要だという洞察は、過去の歴史における権力者牽制のさまざまな事例という「知的ストック」があって初めて得られる。
→ 知的ストックで目の前の常識を相対化できる。たとえば、「終身雇用」は、日本の伝統的な人事慣行でもなんでもなく、「歴史的に見て例外的に特殊な時期」において限定的に採用されていた人事慣行。知識の時間軸と空間軸を広げることで、目の前の常識が「いま、ここ」でのものにすぎない、という相対化ができる。それが良いのは、イノベーションにつながるから。
→ 「常識を疑う」のはとてもコストがかかる。一方で、イノベーションを駆動するには「常識への疑問」が必要で、ここにパラドクスが生まれる。それを解くカギは、「見送っていい常識」と「疑うべき常識」を見極める選球眼を持つこと。その選球眼を与えてくれるのが「厚いストック」。
→ 知的ストックで創造性が高まる。創造性を高める有効な手段の一つがアナロジー。アナロジーとは、異なる分野からアイデアを借用するという考え方、パクリのこと。ジェームズ・ヤングの『アイデアのつくり方』、「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせ以外の何ものでもない」「新しい組み合わせを作り出す才能は事物の関連性を見つけ出す才能に依存する」。ここで重要なのが「組み合わせる情報」の数。アイデアの質はアイデアの量に依存する。ピカソは二万点の作品を残し、アインシュタインは二百四十本の論文を書き、バッハは毎週カンタータを作曲して、エジソンは千件以上の特許を申請した。面白いのは、彼らの残した知的生産の全てが必ずしも傑作だったわけではない点。
→ 「どんな知的ストックが必要なのか?」は、個人の「人生の戦略」によって大きく変わってくる。主要文献には目を通しておいてもいいかなと思う、十四カテゴリー。これらのカテゴリで、三〜五冊程度、定番といわれる概説書や教科書に目を通しておけば、一般的な文脈での知的生産に十分なレベルの知的ストックは構築できると思う。
経営戦略/マーケティング/財務・会計/組織/リーダーシップ/意思決定/経営全般/経済学/心理学/歴史/哲学/宗教/自然科学/芸術
→ これらカテゴリは、「組織開発・人材育成の領域において人文科学と経営科学の交差点で仕事をしていく」という筆者自身の人生戦略から生み出されたもの。
→ 読みたい本だけを読む。ある本を読んで人が面白いと思えるかどうかは、読み手の文脈次第。「与えられたリストを上から順番につぶしていく」というのは、もっとも定着率の悪い、非効率なやり方。「食欲なくして食べることが健康に害あるごとく、欲望を伴わぬ勉強は記憶をそこない、記憶したことを保存しない」 レオナルド・ダ・ヴィンチ『レオナルド・ダ・ヴィンチの手記』
→ メタファー的読書とメトニミー的読書を使い分ける。メタファーは、全体で全体を喩える、水平的・跳躍的な関係にあるのに対して、メトニミーは、部分で全体を喩える、垂直的・連続的な関係にある。大事なのは、一冊の本が与えてくれた疑問やテーマを軸にして読書を展開していくことで、一冊一冊の本を数珠のようにつなげていくこと。何の関連もない本をバラバラに読んでいっても、知的ストックはなかなか厚くならないし、ネットワークから外れた知識は、知的生産の文脈でも活用しにくい。
→ 短期目線でインプットを追求する。変化が速く、ダイナミックな時代において中。長期的な目標を設定して、現在のインプットを行うのはナンセンス。常に「いま、ここ」ですぐに役立つとか、あるいは面白いとかいった刹那的な選好がずっと重要。
→ 心地よいインプットに用心する。「共感できる」「賛成できる」インプットばかりを積み重ねると、知的ストックが極端にかたよって独善に陥る可能性がある。「似たような意見や志向」を持った人が集まると知的生産のクオリティは低下してしまう。これは個人の知的ストックでも同様。
→ 英語でのインプットを心がける。日本語は世界でも極めてマイナーな言語であり、インプットを日本語に限定してしまうと、知的ストックは非常に偏ったものになってしまいかねない。たとえばウィキペディアについても、日本語と英語では情報量が大きく異る項目が少なくない。
→ 常に「問い」を持つ。インプットの量を恒常的に高い水準に保つためのカギの一つが「好奇心」。どうすればずっと高いレベルの好奇心をずっと維持できるのか。人の好奇心には一種の臨界密度がある。好奇心というのは要するに質問をたくさん持っているということ。質問はわかっているからこそ生まれる。学ぶことで「わかっている領域」の境界線が宇宙に向かって少しずつ広がっていくにしたがって、質問の数はどんどん増えていく。知識豊富で創造性豊かな人ほど好奇心旺盛なのはそのため。
→ 常に「問い」を持つために、まずは日常生活の中で感じる素朴な疑問をメモしてみる。ふっと疑問に思ったことを書きとめる。この「ふっ」は、いつやってくるかわからない。「ふっ」と思った疑問や違和感をしっかりと言葉に認める、その瞬間に気持をうまく掬い取れるような道具を使う。実はこれがなかなか難しい。ほとんどの「問い」は白昼夢のように瞬間的に心に浮かんではすぐに消えてしまうから。この「心に浮かんだ問い」をきちんと手で捕まえる能力、というのは知的生産の根幹をなす能力になるので、繰り返しやって鍛える。
→ なぜメモが大事かというと、メモが癖になると、“感じること”も癖になるからだ。人より秀でた存在になる不可欠な条件は、人より余計に感じることである。メモは感じたことを確認するためにあろう。そしてメモを見直すことは、再び新しく感じることにほかならない。ではなぜ、“感じたこと”が大切なのかというと、感じなければ連想力が湧かず、連想力がなければ想像力(創造力)も生まれないからである。 野村克也『ノムダス 勝者の資格』
→ 自分らしい「問い」と持つ。ストックにする「問い」はなんでもあり。なぜなら、全ての「問い」は、どこかでビジネスや人生における学びや気付きにつながるから。ビジネスには人間や世界のあらゆる側面が関係してくる。どんな問いであっても、人間や世界をより深く理解するきっかけになるのであれば、それはどこかでビジネスへの示唆につながってくる。「問い」がシャープであればあるほどに、答えはなかなか見つからないもの。しかし、そういった「問い」に向かい続けていれば、やがてその「問い」に対する、答えやヒントに気付く瞬間に出会うはず。
→ 君自身が心から感じたことや、しみじみと心を動かされたことを、くれぐれも大切にしなくてはいけない。それを忘れないようにして、その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。 吉野源三郎『君たちはどう生きるか』
→ ガベージイン=ガベージアウト。優れた知的生産システムを持っていたとしても、ゴミのようなインプットを繰り返していれば、いつまで経ってもゴミのようなアウトプットしか生み出せない。ゴミの峻別はけっこう難しいので、まずは名著・定番といわれているものを押さえることが重要。経営学でいうと二十〜三十冊程度だろう。評価の確立していない新刊のビジネス本をあれこれつまみ食いするよりも、こういった名著・定番を繰り返し、繰り返し読んで考える方が時間の費用対効果としては高い。知的生産に優れた人は、間違いなく「深く鋭く読むべき本を見つけるために、大量の本を浅く流し読みしている」。深さと広さはトレードオフ。広く読めば必ず浅くなるし、深く読めば必ず狭くなる。知的生産のベースとなるストックは、浅薄な読書からは得られない。
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